· 

「敵」が人生を救った話。

今日は、私の高校受験体験記を書きます。

よくある話、と思われた方はそっとページを閉じてくださいね。

 

まずは、私が進学した高校について話します。

福岡県立修猷館高等学校、という福岡の県立高校では一番偏差値が高い高校です(通称「修猷(しゅうゆう)」)。ふーん、と思っていただければ大丈夫です。

 

福岡市立の中学1年生、中学にも入りたての頃、クラスメイトがこう話していたのを覚えています。

「修猷に行くには通知表で45点中40点はとらなきゃいけないらしいよ!」

そのときの私は高校進学のことなど何も考えておらず、「修猷館」という高校名すら知らなかったので、それこそ「ふーん」と答えました。

 

月日が流れていき、だんだんと中学校の様子がわかってきます。

毎日のように鳴り響く火災報知器。

周りからは「どこどこ中と喧嘩する」というひそひそ話。

私も含め、地味で目立たずケンカもできない生徒は日々ちょっかいをかけられます。

そう。

 

ヤンキー

 

の存在です。

地方の中学校にはよくいると思うのですが、私にはそれが耐えられませんでした。

なぜ自分は何もしていないのに放課後の「緊急学年集会」に出るのか。

授業を受けたいのになぜ先生の説教で終わるのか。

言葉や力によるいじめまがいをなぜ受けねばならないのか。

そこで私は決心します。

 

ヤンキーがいない高校に行くしかない。

 

ヤンキーがイヤなら、彼らがいない高校に行けばいい。そうすれば今の状況から脱出できる。

ヤンキーがいない高校は、きっと偏差値の高い高校だ。

私の志望校が決まりました。中学1年生のときに「ふーん」と聞き流した、修猷館高校。

ここに行くしかない。中学2年生の冬でした。

 

そこから私の「受験勉強」が始まります。

まずは塾に通い始めます。地元で長い実績のある中規模な塾でした。

その塾は地元で有名で、多くの成績優秀者が在籍していました。塾内のクラス順位も私は下の方。春期講習で配られた社会のテキストを解けば、すべての問題にバツがつきました。数学のプリントを予習しても何もわかりません。涙を流しながら勉強しました。

 

中学3年生になり、私は鬼神のように勉強しました。

朝は7時に起床。

学校に到着してから朝礼まで勉強。

授業と授業の間の5分休みはすべて勉強。

給食時間はテキストを見ながら食事。

昼休みは勉強。

家から直接塾に行き、授業を受け、帰宅。

帰宅してからは午前3時まで勉強。

 

人生でこれまで勉強したことはない、と言えるかもしれません。

あらゆるテキストを10回は繰り返しました。

 

高校に入ってから、同級生にこの話をすると、全員に「狂気の沙汰」と言われました。深夜に勉強していると、親からも「そんなに勉強して大丈夫か?」と心配されました。身体の限界に達して、勉強しながら気絶して朝を迎えることが1週間のうち半分はありました。

 

このような生活を1年続けました。

入試の結果は、「合格」でした。

自分の合格を知ったとき、感じたのは、うれしさというより、「心の底からの安堵感」だったのを今でも覚えています。

 

もちろん、自分がこうだったからといって、同じやり方をしなさい、とは誰にも言いません。むしろ今では悪い例かもしれません。

 

私が言いたいのは、「人生何が着火剤になるかわからない」ということです。

私のいた中学校に仮にヤンキーが一人もいなければ、おそらく私は修猷館を目指さなかったでしょう。そうすると、最高に楽しかったあの高校生活を送ることはなかったでしょう。

 

私は思うのです。その人その人によって、やる気の「トリガー」は異なる、と。その人の性格と環境が、いい意味でも悪い意味でも絶妙な塩梅となることで、爆発的なエネルギーを生み出すことがある、と。

 

私は、塾で勉強を教える身としても、生徒が何らかのエネルギーを出すアシストをしたいと考えています。誰が、いつ、どこのタイミングでエネルギーを出せるかはわかりませんが、その着火点を見極めていきたいです。