宿題論

あなたは「宿題」は必要だと思いますか?いらないと思いますか?

宿題が必要か否か、という議論については多くの意見があるのですが、大きく分けて2つあります。

肯定論では、このような主張がされます。
・宿題をすることにより、学校や塾の授業で学んだことが定着する
・学習内容の定着により、学力が向上する
・あまり勉強をしない生徒でも「宿題」を課せばこなしてくれる(したがって基礎学力がつく)

否定論の主張は次のようなものです。
・勉学とは自主的にするもので、「宿題」という形式で生徒に課すべきでない
・強制的な宿題は生徒を勉強嫌いにさせてしまう恐れがある
・宿題を課すことが単なる教師の自己満足やアリバイ作りになってしまうことがある

私は、肯定論/否定論のどちらもとりません。いや、むしろどちらの立場もとれない、といった方が正確でしょう。
なぜなら、「宿題」は「手段」に過ぎない、と思うからです。
宿題とは、それを出すとするならば、対象とする生徒の学力を上げるために出すものであるはずです(自己満足やアリバイ作りのためだけの宿題を出す教師は、教師失格だと思うので除きます)。

たとえば、福岡から東京に移動するための交通手段を考えてみましょう。
ある人は、時間がもったいないから飛行機で移動します。
またある人は、車窓を楽しみたいから新幹線で向かいます。
もしかしたら、自分の根性を試したいから徒歩で挑む人もいるかもしれません。
時間が大切だ、と思う人に、片道5時間かかる新幹線を勧められるでしょうか。
車窓を楽しみたい人に徒歩を求めるでしょうか。
自分の根性を試したい人に手軽な飛行機を強制できるでしょうか。
結果として東京に到着し、各々が満足すればそれで事足りるはずです。

「宿題」に話を戻します。
宿題を出すべきか否か、という議論は、宿題そのものを目的化しているにすぎないのではないでしょうか。その生徒の学力が、本人が満足する過程をたどって、本人が目指した形で向上すればそれでいいのです。宿題を出すべきか/出さないべきか、ということではなく、この生徒には何が必要か?を指導者が自問自答していくことでしかないのではないでしょうか。

自分が今取り組むべきことがわからず途方に暮れる生徒もいれば、自分で自主的に勉学に励みたい生徒もいます。そういった生徒たちには、あるときは手を差し伸べることも必要でしょうし、またあるときは「何もしないことをする」ことも必要でしょう。私も生徒を指導する上では、中学生に上がったばかりで何をすればいいかわからない生徒には宿題を出しますし、目標を定めて安定飛行をするようになった生徒にはこちらからは何もしません(見守りはします)。

自分の学力を向上させる、という「目的」に対して、何が一番必要かを教師が見極めることが必要だと思います。そのときに一番必要なものが「宿題」という形であれば、それが目的に合う最善の手段となるでしょう。その決定ができるかが教師の力量だと考えていますし、何も考えずにポンと大量の課題を強制する教師は思考停止状態に陥っていると言わざるを得ません。

先に「肯定論にも否定論にも立てない」と書きましたが、言い換えると、「合目的的な手段としての宿題に関しては肯定する」ということでもあります。もちろんそれぞれの教育現場において直面する課題はありますが、私が指導するにあたってはこのような立場であると表明します。